2017.11.25 変化
赤ちゃんが死んでしまったとわかってから、15日...まだお腹に赤ちゃんがいます。あと2日で入院です。
身体にも色々変化が起きました。
1:お腹の膨らみがなくなってきた。
→便秘のときみたく下っ腹だけポコっと膨らんでいる。妊娠7ヶ月の時に買ったウエスト88センチのデニムがもう入らないってぐらい大きかったのに、今はブカブカで履けないぐらい萎んだ。
2:乳輪がすごく大きくなっていたのに元のサイズぐらいになってきた。
→色はまだ変わらないのですが乳輪は明らかにサイズが違う。
もうお母さんじゃないって身体が思ってるのかな。すこし寂しくなる。
3:お腹がいつも冷たい。
→赤ちゃんがいる時は体温も高くてお腹もとても暖かかったのに今は冷たい。
4:お腹がすぐに張る。
→妊娠中とはまた違った張り方。
張り方がすごくてそこを触ると今ここに頭あるな。コレは手かなってすごい感じれる。旦那さんも「あ。これ頭かな?」って言うぐらいわかるのです。
ただ、文字で表現するのは難しい。
11/27まであと少し。
もう少しで出産です。
正直とても寂しくて辛いですが、心の中にもう1人いるようなとても複雑な気持ちです。
辛い、怖い、寂しい、離れたくない、解放される。
解放ってなんなのかな。でもこの言葉がピッタリなんです。
でもなぜか、解放されるってゆうとすごく最低な母親に感じてしまう。
妊娠からの解放ではなくて、なんなんやろ。なんか自分の中で葛藤してるんですよね。
この2週間色んな方のブログや本を読みました。
‘ままありがとうさようなら’
池川明さんの本の中にあった、胎話士さんのおはなし。魂と魂の会話。わたしもこの2週間で赤ちゃんからのメッセージをちゃんとしっかり受け取ったと思います。
愛するお母さんに、何かのメッセージを伝えに宿った命。「気付き」や「成長」に必要不可欠だった命。どんなに小さくても、短くても、それでも何かの役に立ち、一生を全うしたということ。
また「生まれ変わり」にも触れており、生まれ変わりは存在するけれど、次に生まれてきた子に亡くした子を「重ねる」のは問題であるという考えは、まさに私も同じ考えで、「たましい」は同じでも、「身体」や「生まれた意味(使命や役割)」は全く違うのだから、全く別の子どもとして扱わなくてはならないということ。
何故なら、亡くなった子の「生まれ変わり」として生きる子どもにとって、自分は亡くした命の「代わり」であって、何者でもないように感じながら生きてしまうから。親が重ねることで「生まれた子どもが傷つく」ということは本当に現実に多くある。
『お母さんのおなかに宿り、いのちの尊さをおしえてくれるという意味では、流産や死産も赤ちゃんが生きて生まれるお産と同じ、かけがえのない経験です。赤ちゃんが生きて生まれるか、死んで生まれるか、体が大きいか、小さいかという違いはありますが、ひとつの完結したお産なのです。亡くなった赤ちゃんはすでに一生をまっとうしていることを、受け入れて欲しいのです。たとえ同じたましいがお母さんのもとに戻ってきてくれたとしても、今度は別の役割を持って生まれているのです』
『生きて生まれる赤ちゃんも、雲の上に帰っていく赤ちゃんも、お母さんが大好きで、お母さんの役に立つためにやってきたことに変わりありません。中絶される赤ちゃんも、流産と同じように、お母さんにメッセージがあるのです。それは、お母さんが耳をすませば必ず受けとれますし、今まで私が聞いたところでは、例外なくすべてあたたかいものばかりです』
妊娠、中絶、流産、死産、出産、婦人科系の病気など、女性の幸と不幸をランダムに日常的に接している産婦人科医は、本当に神経がすりへる仕事であるけれど、それ故に、事務的・形式的になりやすい医療で傷つく女性がたくさんいるのも確か。
この本を読んで希望や勇気をもらえました。まだまだ時間はかかると思うけど赤ちゃんからのメッセージをしっかり受け止めて前向きに生きたい。